恵比須様と鶏
大国主の長男である恵比須様は、魚釣りが大好きで、毎日のように舟で沖へと釣りに出かけておられました。
或る日のこと、釣りを終えて家に帰ろうとしていたところ、遠くから女性の呼び声が聞こえてきました。恵比須様もそれに応えようと、声の聞こえてきた方向に向かって声をかけてみると、又暫くして、それに応じる女性の声が聞こえてきました。
恵比須様は、その声の主を確かめみようと船を其方へと向け、力いっぱい漕ぎ始めました。舟は大根島を抜け、辿り着いた先は揖屋(いや)の灘でした。
そして、その浜には美しい揖屋の姫神様が立っておられました。姫神は、森の中の暮らしが寂しくなり、話し相手を探しに浜へと出ていたところ、沖の小舟に人影が見え、思わず声をかけられたそうです。
二人は直ぐに打ち解けて、夢中で語り合っておりましたが、夜明けを知らせる一番鶏の鳴き声が聞こえると、美保関を守る勤めにより、夜が明けるまでに家へ帰らねばならぬと、後ろ髪を引かれながらも船へと戻りました。姫神は浜を出る船を見送りながら、今宵はとても楽しかったので明日の夜もまた来てほしいと伝えました。
それからというもの恵比須様は毎晩、姫神様のところへと通うようになりました。しかしながら、毎晩通われていると、人々の噂となり、姫神に好意を寄せていた地元の男神の知るところとなりました。でも、相手は恵比須様なので、男神は憤慨しながらも、為す術もなく、地団駄を踏むばかりでした。
ところが、或る十五夜の晩、男神は酒に酔った勢いで、恋敵の恵比須様を驚かしてやろうと、鶏舎に出向き、鶏がとまって寝ていた止まり木の竹に、お湯を注ぎ込みました。お湯は竹の中を伝わり、鶏の足元を温めたので、鶏は朝が来たと勘違いして、朝を告げる鳴き声を出しました。
恵比須様は先ほど来たばかりなのに、もう夜明けかと、たいそう驚かれ、慌てて船に乗り込み櫓を漕ぎ出しましたが、ちょうど大根島あたりまで来たところで酒の酔いがまわってしまい、誤って櫓を海に流してしまいました。
恵比須様は、このまま櫓を探していては、夜が明けるまでに美保関には帰れまいと考え、仕方なしに片足を海に浸けて櫓の代りにして船をこぎ始めました。
暫らくして、大根島と美保関の間あたりまで来たとき、運の悪いことに、その当時中海一帯を縄張りとしていた鰐(*鮫)がその足を見つけて喰らいつてきました。痛みに驚き足を引き上げるも、鰐は足を食いちぎって去っていきました。
片足を失いながらも、痛みに堪え、ようやく美保関に辿り着いた恵比須様ですが、辺りはまだ暗く、一番鶏が誤って鳴き、夜が明けるまでには、まだ相当な時間があったことを知って、たいそうお怒りになると同時に、片足を失ったことを御嘆きになったそうです。
以来、この出来事により、美保関や大根島、揖屋周辺の人々は恵比須様のことを思い、鶏を飼ったり、鶏卵を食べなくなったとのことです。
事実、昭和の初期頃まで、それら地域の一部には、その風習が残っていたそうです。又、恵比須様の人形や絵は座って足を組み、片足が見えない姿で描かれていたそうです。
*山陰地方おいて鰐(ワニ)は、鮫・鱶(サメ・フカ)の古名とされており、現在でも使われています。
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