金屋子神社

 昔々、播磨の国に日照りが続き、人々は飢饉に苦しでいた為、熱心に雨乞いをしていました。すると、願い叶ってか雨が降り出し、その雨とともに美しい金屋子神が降臨なされたそうです。

 金屋子神は、この雨により此の地は豊作となり、沢山の収穫出来るので、大きな鍋が必要になるであろうと仰り、岩石を砕いて鉄を取り出し、大きな鉄鍋をつくられました。

 これにより、其の地は岩鍋と呼ばれる様になりました。

 その後、金屋子神は此の地には自らが住まんとする山が無く、元々自分は西の方に縁があるので、西へ向かい住み良い場所を探しますと仰せられ、白鷺の背に乗って西方へと飛び立たれました。

 西方へ向かう途中、山中の木陰で白鷺の羽を休ませていると、突然、野犬が飛び出してきて襲い掛かってきました。

 金屋子神は、白鷺に飛び乗って逃げようとして、手綱代わりに結わえていた麻苧を掴んだのですが、切れて地面に転げ落ちてしまいました。

 山犬に襲われ、顔や体を咬まれながらも、近くにあった蜜柑の木から垂れ下がっていた藤の蔦につかまり、木の上によじ登って、命からがら逃げだすことが出来ましたが、流れ出した血は止まりませんでした。

 山犬が諦めて立ち去り、姿が見えなくなってから、金屋子神は近くの泉に向かい、顔を洗おうと水面を覗き込むと、美しかった顔は血だらけの上、山犬の咬んだ傷で醜い姿となっていました。

 金屋子神は嘆き悲しみましたが、痛みを堪えながら再び白鷺の背に乗り、西方へと進みました。

 調度、出雲国の西比田の山辺りで傷が痛む為、再び山中へと舞い降り、傍にあった桂の木の根元で腰かけて休んでいたところ、地元の方に助けられ、金屋子神はそのお礼にと、此の地を終の住まいとし、鉄造りの技術を伝えられたそうです。

 その後、金屋子神が降り立たれた桂の木の横には神殿が建立され、現在でも多くの鉱業・鋳造業関係者等の信仰を集め続けています。



金屋子神社

島根県安来市広瀬町西比田に鎮座する神社。中国地方を中心に全国に約1200社ある、金屋子神社の総本社。

鉱業・鋳造業関係者の信仰を集め、TOYOTA発祥の地、愛知県刈谷市豊田町の豊田自動織機本社工場内の豊永神社(1939年5月建立)は、金屋子神社より勧請された。

 

日吉神社

(出雲) 〒693-0001 島根県出雲市今市町1765番地  TEL 0853-24-2050 FAX 0853-21-3254 E-mail hiyoshijinja.izumo@gmail.com <URL> https://hiyoshijinja.amebaownd.com

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