「神人和楽」

                          第八十代出雲國造 北島 建孝

       

   大学生の頃、滋賀県の日吉大社の境内の建物で一週間程過ごすことがあった。朝早く御本殿にお参りした後、清掃奉仕をすることが一日の始まりだった。

 早起きは辛くもあったが、毎日参拝されるお婆さんに声をかけて頂いたことが励みになった。神主さんの喜びは案外こういうことなのかもしれないと思うと同時に、奥深い山、年を経た巨木、清冽な小川、こんな所に神様は御座すのだろうと思った。

 大学を出てから早朝の銀座を歩くことがあった。日中の華やかさとは打って変わって、ひっそりと静かな街並みは何となく淋しくさえあった。ビルとビルの間に小さな祠があった。日中は周囲の喧噪に紛れて、間違いなく見落としてしまいそうなそんな祠だった。手を合わせた後、こんな小さな敷地でも何億円かはするのだろう、などと考えた。既に誰かお参りしたのか、真新しい一合瓶のお酒がお供えされていた。こんな所にもちゃんと神は御座すのだと思った。

 注意して見てみると、私たちの周りには至る所に神が祀られている。古い巨木に注連縄が張られていたり、井戸の傍らにも、道の辻にも祀られている。あの草の陰にも、この石ころの下にも、そこかしこに神が御座すように見える。

 氏神さんは、そこに住んでいる人が、氏子と自覚していようが、していなかろうが、その地域のすべての人を見守って下さっている。見守られているということは有難いことだ。子を育てる時に、親が子をしっかり見ていることがとても大切だと言われている。親が目を離せば、子も荒れることが多くなると聞いたことがある。氏神さんが見ていて下さる。それはまるで親が我が子を見守るように、温かく、優しく、そして厳しい。そのことを大切に、忘れないようにしたいものだ。

『神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う』

という言葉がある。日吉さんは、氏子の敬により威を増してこられたと思う。ご遷宮十年のことが氏子の人たちの口に上がることは、まさに、氏子の敬の深さを表していると感じる。

 人の心はいつの世にあっても、麻のように乱れるものだと思う。最近の世相は、この世の末のような気さえしてしまう。しかし、氏神を大切にする人、小さな祠を大切にする人、自然の中に神を感じる人、そういう人たちがいる限り、私は悲観することはないように思う。

 日吉様の下には、静かな祈りが取り巻いている。心の置き所。心地の良い地だと感じるのは、氏神と氏子とが共に、和らぎ楽しんでいるからだと思う。

 末筆ながら、日吉神社の弥栄と氏子の皆々様のご多幸を心からお祈り申し上げます。


「山王さん」平成20年12月号に御寄稿頂いたものを転載しております。

日吉神社

(出雲) 〒693-0001 島根県出雲市今市町1765番地  TEL 0853-24-2050 FAX 0853-21-3254 E-mail hiyoshijinja.izumo@gmail.com <URL> https://hiyoshijinja.amebaownd.com

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